ロマネコンティの歴史は、フランス・ブルゴーニュのヴォーヌ・ロマネ村にある約1.8ヘクタールの畑の歩みです。中世に修道院が管理した畑が、18世紀にコンティ公の手に渡って今の名になりました。その後、革命による売却や害虫被害を経て、20世紀に世界的な評価を築きました。特別とされるのは、畑が小さく生産量が限られていることと、長い歴史が銘柄の物語を支えているからです。
ロマネ・コンティは、畑とそこで造られるワインの両方を指す名前です。歴史を読むときは、まず「畑」を指していると覚えておくと分かりやすくなります。
ブルゴーニュのぶどう栽培は、修道院が育てたことで発展しました。この畑も中世は修道院の管理下にあり、当時は「ラ・ロマネ」などの名で呼ばれていたとされます。
畑の優れた個性は早くから知られていました。ロマネコンティの歴史は、この中世の時代が起源になったと考えられています。
18世紀に、コンティ公がこの畑を手に入れました。畑の名にコンティが加わり、現在の名前が定着しました。
「ロマネ」は畑の旧名に由来するとされています。ただし、名前の由来の解釈は資料によって表現が異なるため、断定はできません。
フランス革命で、貴族や教会の畑は国有財産となりました。その後、畑は競売で民間の手に渡りました。
19世紀末には、フィロキセラ(害虫)が欧州のぶどうを襲いました。ブルゴーニュの畑も大きな被害を受け、対策として耐性のある台木への接ぎ木が広まりました。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 中世 | 修道院の管理下で栽培される |
| 18世紀 | コンティ公が畑を入手する |
| フランス革命期 | 国有財産となり、競売で民間へ渡る |
| 19世紀末 | フィロキセラの被害。接ぎ木が広まる |
| 20世紀 | 特級畑に格付けされ、DRCの運営体制が整う |
20世紀には、原産地呼称制度で特級畑(グラン・クリュ)に格付けされました。同じ時期に、現在のDRCの運営体制が整いました。
DRCはロマネ・コンティ以外にも特級畑を所有しています。生産量が少なく希少性が高いことも加わり、20世紀を通じて世界的な評価が定着しました。
1945年産は、接ぎ木される前の古木から造られた最後の年とされています。その後、畑は植え替えられました。
この年は収量が極端に少なかった年として語られ、歴史的ヴィンテージとして扱われています。古木から造られた最後の年であることが、特別な年とされる理由です。
小さな畑で生産量が限られていることに加え、長い歴史が銘柄の物語性を支えています。希少性・歴史・評価が、ロマネ・コンティの価値につながると考えられています。
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中世に修道院の管理下で栽培されていたことが起源とされています。当時は「ラ・ロマネ」などの名で呼ばれていました。
18世紀にコンティ公がこの畑を手に入れ、畑の名にコンティが加わったためです。
接ぎ木される前の古木から造られた最後の年とされ、収量が極端に少なかったため、歴史的ヴィンテージとして扱われるからです。